大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)2331号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

第一  原告の請求

被告は原告に対し、金五一三〇万二三八〇円およびこれに対する昭和六三年四月五日から支払済みに至るまで年五分の金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告の奈良国立博物館(以下「奈良博」という。)が、後記本件仏像を十分調査して、それが贋作であることを知るべきであつたのに右調査を怠り、安易に本物であると断定し、特別展の主陳物として展示することとし、その手段として昭和六二年一月一三日原告に対して右仏像を購入のうえ展示のため奈良博に貸し出すように依頼したので、原告は贋作である右仏像を購入し、そのため、不相当な購入代金の支払等を余儀なくさせられたとして、被告に対し、国家賠償法一条に基づき、損害賠償を求めた事案である。

一  本件の背景(争いがないか弁論の全趣旨から認定できる事実)

1  奈良博は、昭和六二年五月を開催月とする特別展「菩薩」(以下「菩薩展」という。)を企画した。

同館の学芸課主任研究官の松浦正昭(以下「松浦」という。)は、右菩薩展の企画担当者であつたが、昭和六一年七月二八日から同年九月二五日まで、シカゴ美術館において開催された「東大寺秘宝展」出陳文化財に随伴のため渡米し、クリーブランド美術展及びニューヨーク・アジアソサエティ美術館で開催された「クシヤーン彫刻展」のカタログを入手し、その中に高さ一六八センチメートルでガンダーラ彫刻の石像弥勒菩薩立像(以下「本件仏像」という。)を発見した。右仏像の所有者は、古美術商のウイリアム・H・ウオルフ(以下「ウオルフ」という。)で、松浦はウオルフと面談し、同人から本件仏像の写真を入手した。

同年一一月四日、奈良博は、松浦の報告に基づき、本件仏像を菩薩展に出陳することを内定した(正式決定は昭和六二年一月二七日)。

2  松浦は、前記菩薩展に延暦寺所蔵の経巻を出陳してもらう交渉のため、同六一年一二月一九日、延暦寺の副執行・管理部長兼秘宝館長叡南覚範(以下「叡南」という。)を訪ねたが、その際、同人に本件仏像についての話をした。

同月二一日、原告代表者亀廣市右ヱ門(以下「亀廣」という。)は叡南方を訪れ、その際、叡南から本件仏像の話を聞き、再度同月三〇日に叡南方を訪れ、同所から電話で松浦と本件仏像についての話をした。

(このあと、昭和六二年一月一三日に松浦が原告代表者亀廣に本件仏像の購入依頼をしたかどうかが中心争点である。)

3  同年二月二六日、原告は、本件仏像の売買代金三七万五〇〇〇ドルの内金として、ウオルフの指定する銀行に一二万五〇〇〇ドル(一九二八万七五〇〇円)を振込み送金した。

同年三月一二日、本件仏像は、日通航空により大阪空港に到着し、奈良博館長浜田隆の発行した、本件仏像が製作後一〇〇年以上経過したものである旨の証明書により通関手続を受け、翌一三日奈良博に搬送され、亀廣等立ち会いのもとで開梱され、奈良博倉庫に保管された。

4  本件仏像は、菩薩展のポスター、入場券、招待券等に印刷のうえ掲載されたが、これを見た財団法人古代オリエント博物館研究部長田辺勝美は、菩薩展に先立つて、奈良博に本件仏像が贋作である旨の連絡をし、贋作と断定する根拠を示した質問状を送付した。

奈良博は、同年七月三日、ガンダーラの仏教美術研究者を初め、修復・保存科学の分野にまで及ぶ学者らと右田辺によるガンダーラ仏研究協議会を開催し、討論がなされた。

その結果は、右協議会の樋口座長より、協議会としては本件仏像が本物であるか偽物であるかについて断定はできなかつたと発表された。

三  争点及び争点についての当事者の主張

1  本件の争点は以下の三点である。

(一) 原告が本件仏像を本物であると信じて購入するにつき、奈良博ないしその菩薩展企画担当者松浦に違法な職務行為があつたか。

とりわけ、松浦は、菩薩展の出展のために、右菩薩展企画担当者の立場で、原告に対し、本件仏像を購入するよう依頼したか(中心的争点)。

(二) 被告は原告に本件仏像を購入させるに先だつて、本件仏像が贋作であるか否かについて充分な調査をするべき義務を怠つたか。

(三) 原告の損害及び損害と被告の行為との因果関係。

2  争点についての原告の主張

(一) 松浦の買取依頼について

昭和六二年一月一三日、原告の経営する関西記念病院において、松浦は、亀廣に対して、本件仏像を菩薩展に展示したい、本件仏像を代金三七万五千ドルでウオルフから買い取つて菩薩展に出展してほしい、と懇請した。

その経緯等は以下のとおりである。

(1) 奈良博は、本件仏像を菩薩展の主展示物とする企画をしたが、本件仏像を奈良博が博物館資料として買い取り菩薩展に展示することは、予算の関係上できないため、松浦は知人や美術愛好家に買い取つてもらい、奈良博に貸してもらうよう要請をしていた。

松浦は、延暦寺にもその要請をしていたが、そのことは亀廣自身昭和六一年一二月二一日叡南を訪問した際、叡南より松浦がガンダーラ仏の輸入につき苦慮しているとの話を聞いて知つている。

(2) 亀廣が昭和六一年一二月二一日に叡南を訪問した際、本件仏像のことが話題となつたが、この時は亀廣はそれが金箔像であることに興味を持つたに過ぎなかつた。

そして、同月三〇日に再度亀廣が叡南を訪問し、本件仏像の写真を見せてもらつた際、亀廣が本件仏像についての説明を叡南に求めると、叡南が松浦に電話をかけ、その電話で亀廣は松浦から本件仏像が金箔の残存する菩薩像で、世界最高の仏像であるという説明を受けた。

しかし、亀廣は二世紀に作られた仏像がそのような形で残存していたことに深く興味を持つたが、これを取得するなど思いもよらなかつたので、松浦に対し購入についての話はしなかつた。

(3) ところが、昭和六二年一月一三日に突然松浦が関西記念病院を訪れ、「クシヤーン彫刻展」のカタログ及び本件仏像の写真を示して、本件仏像はガンダーラ仏教彫刻の最高傑作品である旨の説明をしたうえ、菩薩展出展のために本件仏像を原告において購入してくれるよう懇願し、本件仏像の代金は三七万五〇〇〇ドルであり、売買契約の締結及び輸入手続の一切は奈良博がする旨申し述べたので、亀廣は松浦の説明するような最高の古美術品であれば購入したいという気持ちになつたが、六〇〇〇万円という高価品であることから、亀廣が理事長をしている原告の理事会の承認があれば購入する旨回答した。

(4) 同年二月二日、原告は理事会を開催し、ガンダーラ彫刻の名宝である本件仏像を取得し、奈良博の特別展に出展することは、国または国民に対して文化的貢献をすることになること、右展示後は原告の経営する関西サナトリウムに安置することにより、患者への精神療法の一助とすることができるし、かつ、病院のシンボル的造形としても有意義であること等の理由から、右松浦の要請を入れて本件仏像を買い受けることを決定した。

同月三日、原告は、松浦に対し、前記要請を全面的に承諾し、売買に関する一切の権限を奈良博に委任すると申し出た。

(5) その後、奈良博は、本件仏像の購入手続き一切を行い、同年三月一二日、本件仏像は日通航空により大阪空港に到着し、奈良博により通関手続きが行われ、翌日奈良博に搬送された。そして直ちに奈良博は、四月二九日より五月三一日までの間菩薩展を開催することを公表し、本件仏像をポスター等に掲載し、菩薩展に展示した。

(二) 職務行為性

右(一)に述べた松浦の原告に対する本件仏像の買取依頼行為は、本件仏像を奈良博(国)自身が買い取り菩薩展に展示することは予算の関係上できなかつたためになされたもので、奈良博の企画した菩薩展の責任者としての行為であり、同館の学芸員としての松浦の職務遂行のためのものである。そのことは原告の委任に基づき、奈良博において本件仏像の輸入手続をしていることや、本件仏像が奈良博に到着した当日、直ちに奈良博が同年四月二九日より五月三一日までの間菩薩展を開催することを公表し、本件仏像をポスター等に掲載していることからも明らかである。

(三) 被告の過失

本件仏像は紀元二世紀ではなく、近年に製作されたもので、贋作である。奈良博は、本件仏像を菩薩展に展示するに際し、真実それが古美術品であるか否かを充分に調査・研究し、本物であると断定できる場合に初めて出陳するべきであるにも拘らず、何らの調査を行うことなく、「クシヤーン彫刻展」のカタログを鵜呑みにし、紀元二世紀に製作された菩薩像で、本物であると判断し、原告に購入を依頼した。

(四) 原告の損害

原告は被告の本件仏像の購入依頼により、以下のとおり、合計五一三〇万二三八〇円の損害を受けた。

(1) 不相当な購入代金の支払による損害 二四三二万五五〇〇円

原告はウオルフに対し、売買代金として合計二九三二万五五〇〇円を支払つたが、贋作である本件仏像の価値は最高でも五〇〇万円である。

(2) 本件仏像の購入に関する諸経費及び真贋論争に対応する費用 一一九七万六八八〇円

(3) 慰謝料 一五〇〇万円

3  被告の反論

(一) 松浦の職務権限

松浦は、奈良博の学芸課主任研究官であり、菩薩展の企画担当者としての職務内容、権限は、展覧趣旨の明定、出陳物の選定、出陳物の解説、展示陳列案の作成等にとどまるもので、松浦が右範囲を越えて第三者に対し、出陳物の購入の要請や仲介をすることはありえない。

(二) 次に述べるとおり、被告または松浦が延暦寺や原告等、第三者に対し、本件仏像の購入要請を行つた事実はなく、松浦がウオルフと原告との間の本件仏像の売買に関する連絡に携わつたのは、原告から本件仏像購入についての協力要請を受けたため、個人的な好意から行つたもので、私的行為であつて、松浦の本来の職務行為とは無関係である。

(1) 奈良博においては、菩薩展のような短期の特別展に、館蔵品以外の美術品を出陳しようとする場合には、所有者からの短期間の借用によつてまかなうのが常で、そのために出陳物を購入することはしていない。現に菩薩展においては館蔵品の出陳以外はすべて借用出陳であり、米国からは本件仏像以外に二点の仏像を借用出陳している。本件仏像については、松浦がウオルフから借用出陳についての承諾を得ていたので、奈良博があえてこれを購入する必要は全くなかつた。

また、奈良博の陳列品購入予算は、昭和六一年度及び同六二年度共に七五五〇万円で、同六二年度購入陳列品には一品三八〇〇万円のものがあつた。奈良博が本件仏像を購入しようとすれば購入できるだけの予算はあつたから、奈良博はこれを購入する予算がなかつたとの趣旨の原告の主張は当たらない。

(2) 昭和六一年一二月一九日、松浦が延暦寺所蔵経巻の出陳交渉のため叡南を訪問した際、叡南は松浦の所持していた「クシヤーン彫刻展」のカタログと本件仏像の写真を見て本件仏像に関心を示し、延暦寺において本件仏像の購入の可能性を検討してみたいとの申し出があつたので、松浦は右カタログと写真を同人に預けたのであつて、叡南に対し購入要請をしたものではない。

同年一二月二一日、亀廣は叡南を訪問した際、叡南から本件仏像についての話を聞いて関心を持ち、翌二二日叡南に対して電話で本件仏像を購入したい意向を示した。

亀廣は、同月三〇日、叡南方から電話で、松浦に対し、本件仏像を購入して延暦寺に寄託または寄贈する意思である、菩薩展にも出陳したいので、購入に力を貸してほしい旨要請した。

そこで、松浦は、亀廣の協力要請に基づき、同日ウオルフに日本に本件仏像の購入希望者がいる旨の打電をした(右打電は同日午前一一時三〇分であるが、右時刻はウオルフ在住のニューヨークでは同月の二九日午後九時三〇分である。)

翌六二年一月一三日、松浦は関西記念病院を訪れ、右打電に対するウオルフの返答の手紙の説明をした。

右のとおりであり、松浦が原告に購入依頼をした事実はない。

(三) 被告の過失について

松浦はアメリカで本件仏像を発見し、本件仏像の同国における学術的評価を、シカゴ美術館の東洋部長蓑豊博士、クリーブランド美術館の東洋美術部主任マイケル・カニンガム博士、アムハースト大学助教授サミュエル・モース博士、ニューヨーク・メトロポリタン美術館インド・東南アジア美術部長マーチン・ラーナー博士、アジアソサエティ美術館長アンドリュー・ペカリック博士夫妻(夫人は元ニューヨーク・メトロポリタン美術館東洋部長であつた)、ヴァージニア美術館東洋部長ジョセフ・ダーイ博士等の専門家に面談する等して調査しており、さらに奈良博仏教美術資料研究センター資料管理研究室長有賀祥隆(以下「有賀」という。)が菩薩展出陳物の調査と出陳依頼のため渡米した際も、本件仏像を実査し確認しているから、右調査について松浦や奈良博に過失はない。

第三  争点に対する判断

一  原告の本件仏像購入に至る経緯について

本件各証拠及び弁論の全趣旨に照らせば、以下の事実が認められる(人証名下の回数は尋問が数期日にわたる場合の期日の回数を示す。)。

1  松浦は、昭和六一年七月二八日から同年九月二五日まで、シカゴ美術館で開催された「東大寺秘宝展」出陳文化財に随伴するため渡米し、その間に現地で入手した「クシヤーン彫刻展」のカタログで、本件仏像の存在を知り、これを当時奈良博において企画されていた菩薩展の出陳物の候補にしようと考え、同年八月二二日に所有者で古美術商のウオルフを訪問し、菩薩展への出陳を打診したところ、同人から出陳の内諾を得、本件仏像の全身カラー写真一枚の交付を受けた。なお、その際、ウオルフから、出陳のための輸送に際して三七万五〇〇〇ドル相当の保険を付けることと一名の随行員を付けることを条件として提示されたが、松浦はいずれも予算の付くことであるので、奈良博に受け入れられるであろうと返事した。松浦は、本件仏像のほか、コレクター所有のマトウラー仏像二点を菩薩展出陳の候補とし、コレクターの内諾を得た。

松浦の帰国後、同年一一月四日の奈良博学芸会議で、松浦の報告に基づき、本件仏像を含めた在米の三点の仏像はいずれも菩薩展の出陳品とすることが内定された。

2  同年一二月一九日、松浦は延暦寺所蔵の経巻(国宝「光定戒牒」)の出陳交渉のため、叡南を訪れた。

叡南は当時延暦寺で副執行・管理部長兼秘宝館長の地位にあり、奈良博や松浦とは、同寺所蔵の宝物の借用等を通じて懇意な関係にあり、また松浦とは、同人の叔父及び弟が天台宗の僧侶であるところから、私的にも特別親しい関係にあつた。

松浦は叡南に菩薩展の趣旨説明をするにあたつて、持参していた右「クシヤーン彫刻展」のカタログとウオルフから入手した本件仏像の写真を示し、本件仏像について、素晴らしい仏像であると説明した。そうした話の過程で、松浦と叡南の間で、延暦寺が本件仏像を購入出来れば翌六二年が延暦寺の開祖一二〇〇年にあたるので、その記念になるという話になり、延暦寺が購入するについて、その可能性を検討するため、右写真とカタログを叡南が預かつた。

3  亀廣はかねて古美術に深い関心を有し、古美術の収集も手がけていた。

また亀廣は昭和五七年以来、山田天台座主や叡南と交際を続けてきたが、同月二一日、年末の挨拶のために叡南方に訪れた際、叡南から本件仏像の話を聞いた。この時、叡南は、松浦から聞いた内容を説明し、延暦寺では購入の見通しは少ないという話をした。

翌二二日、亀廣が叡南に、電話で、本件仏像をぜひ買いたいと言うので、叡南は、同月三〇日に亀廣を松浦に紹介することにした。

4  同月二三日、延暦寺で局議が開かれたが、本件仏像の購入は無理であるということになつた。その後叡南は松浦に、電話で、局議の結果と同月三〇日に本件仏像を買いたい人(亀廣)が叡南方に来るので、同人と電話で話をするよう伝え、合わせて亀廣にカタログと写真を渡すことについて松浦の承諾を得た。

5  同月三〇日、亀廣は予定どおり叡南を訪問し、叡南が松浦に電話をかけ、亀廣を松浦に紹介し、亀廣は松浦と直接話をした。この時、亀廣は、松浦に、本件仏像を購入したいので、ウオルフに連絡をするよう頼み、またウオルフから返事がきたらすぐに自分に連絡するよう頼み、自宅と病院の電話番号を教えた。

そして、叡南は、本件仏像の写真を亀廣に渡した。

この写真は、翌年一月一〇日頃、亀廣が原告の経営する関西記念病院に移し、理事長室に飾つていた。

6  同一二月三〇日、松浦は、亀廣の前記依頼を受けて奈良博松浦名義で急ぎウオルフに対し、「我々はあなたのガンダーラ彫刻像(弥勒菩薩像)を購入したい。どうぞ、その美術品を確保しておいて下さい。もし、同意いただけるなら、できるだけ早く私に手紙を下さい(WE WANT TO BUY YOUR GANDHARAN SCULPTURE(BODHISATTVAMAITREYA).PLEASE HOLD THE ARTICLE.IF YOU AGREE,PLEASE WRITE TO ME AS SOON AS POSSIBLE.)」と打電した。

昭和六二年一月一二日、ウオルフから松浦宛てに、代金は三七万五〇〇〇ドル、内一二万五〇〇〇ドルの前払いがあれば本件仏像を直ちに発送し、残金支払は仏像到着時にしてほしいという旨の昭和六二年一月五日付の手紙が届いたので、松浦は直ちにその旨を亀廣に連絡した。すると、亀廣がその手紙を関西記念病院に持つてきてほしいというので、翌一三日、松浦は同病院を訪れ、亀廣や大西事務局長に右手紙の内容を説明した。

7  同月一八日、有賀が在米の三体の菩薩展出陳物の調査と出陳依頼のため渡米した。同月二二日、有賀はウオルフに、買主は亀廣であること、出陳前に亀廣が買うことになれば、本件仏像の送付先は「奈良国立博物館気付亀廣市右ヱ門」としてほしいことを伝え、ウオルフから購入代金の振込先を聞くと共に振り込み用チケットを受け取り、保険、輸送料は買主負担であることを聞いた。

有賀の帰国後、同月二七、八日頃、松浦は亀廣に有賀がウオルフから聞いてきた内容を伝えたところ、亀廣から輸入手続きについて協力してほしいと依頼され、それを承諾した。

8  昭和六二年二月二日、原告は理事会を開催し、本件仏像を購入することを決定した。

9  同年二月二三日、ウオルフから松浦宛に代金の催促の手紙がきたので亀廣に伝えると、原告の大西財務部長宛に知らせるよう言われたので、松浦は右手紙と有賀がウオルフから受け取つたチケット等を同封して、大西に送付した。

以上の事実が認められる。

ところで、右5に関して、原告代表者亀廣は、昭和六一年一二月三〇日に松浦に対して本件仏像を購入したいと申し出たことはなく、翌六二年一月一三日に松浦から本件仏像を購入して欲しいとの依頼があつたので原告において購入することを検討した旨供述している。

しかし、松浦がウオルフに購入意思を表示する電報を昭和六一年一二月三〇日に打つていることは前記認定のとおりであるところ、延暦寺が本件仏像を購入しないことを決め、その旨を叡南から松浦に連絡があつたのは右一二月三〇日より前であつて、亀廣を置いて他に本件仏像の購入を松浦に申し入れていた者はなかつたことからすれば、松浦が右一二月三〇日に電報を打つたのは、同日亀廣から本件仏像を購入したいとの申入れがあつたからとしか考えられない。したがつて、亀廣の前記供述は到底採用できない。

二  次に、奈良博は、菩薩展に本件仏像を出展するために、日本での購入者を探すことが必要であつたかについて検討する。

この点、原告は、ウオルフが古美術商であり、本件仏像が他に転売されれば菩薩展に出展できなくなる虞があり、一方奈良博においては購入予算がなかつたから、菩薩展企画担当者であつた松浦は、日本で本件仏像の購入者を探す必要があつたと主張し、原告代表者亀廣は、松浦が日本で本件仏像の購入者がいないと菩薩展に出展できないと言つていたという趣旨の供述をしている。

しかし、前記認定のとおり、昭和六一年八月二二日の時点では、松浦はウオルフから、輸送に際して三七万五〇〇〇ドル相当の保険を付けることと一名の随行員を付けることを条件に、本件仏像を菩薩展に出陳することについて内諾を得、右条件はいずれも予算の付くことであるので、松浦は奈良博に受け入れられるであろうと返事したこと及び松浦は本件仏像のほか、在米の仏像二点についてコレクターから出陳の内諾を得ていたことが認められる。

そのうえ、奈良博は展示物の購入予算として昭和六一年、六二年とも約七〇〇〇万円を組んでいて、本件仏像を自ら購入することが必要ならば、購入することは客観的に可能であつたことが認められる。

また、前記認定のとおり、奈良博学芸会議において本件仏像を菩薩展に出陳することを内定したのが昭和六一年一一月四日であるから、日本において購入者を探す必要があるならば、右出陳内定がなされた直後からあらゆる伝手を通じて購入者を探す筈であるのに、松浦が他に本件仏像の購入要請をしていたとの事実は認められないところである(この点について、甲一号証(原告の臨時理事会議事録)の理事長説明に、松浦が知人等を通じて本件仏像の購入者を探していたことを窺わせる記載はあるが、同証拠の他の部分には本件仏像の出土地としてパキスタン北部ミンゴーラとの記載がされているところ、《証拠略》によれば、本件仏像の出土地がミンゴーラ付近とわかつたのは昭和六二年二月二七日以降と考えられ、出土地については同年一月一三日にすでに松浦から聞いていたとの亀廣の供述はにわかに信用し難いので、右議事録がその記載どおりの日付(昭和六二年二月二日)に接した時点で作成されたものとは認定できず、したがつて、右記載をそのまま信用することはできない。)。

また、松浦がウオルフから得た出陳の内諾について、その後ウオルフからその内諾を撤回するとか、他の条件を付加する申し出があつたとか等の事情も認められない。

したがつて、奈良博は、日本で本件仏像の購入者を探さなければ、本件仏像を菩薩展に出展することができなかつたとは認められないから、亀廣の前記供述並びに原告の主張は採用できない。

三  以上の事実に前記(第二、一)本件の背景事実を総合すると、亀廣は、昭和六一年一二月二一日、叡南から本件仏像を紹介されて興味を抱き、同月三〇日、電話で、松浦にこれを購入したい旨の意思表示をし、購入について協力して欲しいと要請したため、ウオルフに面識のある松浦が原告に代わつてウオルフと連絡を取つたところ、ウオルフと原告との間に売買契約が成立したものと認めるのが相当である。

右のとおり、松浦は原告がウオルフから本件仏像を購入するに当たり、ウオルフとの連絡や通関手続等に協力したことは認められるのものの、菩薩展企画担当者の立場で、亀廣や原告に菩薩展出陳のため本件仏像をウオルフから購入するように依頼した事実は認められず、他に原告の本件仏像の購入に関して松浦や奈良博に違法な職務行為があつたことは認めるに足りないので、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がない。

(裁判長裁判官 海保 寛 裁判官 若宮利信 裁判官 中村昭子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例